当たり前を疑う

2011年08月25日/ 雑感

某子供科学啓蒙施設での(科学ものの)夏休み最後のWSでした。
当たり前を疑う
午前午後2回のWSをこなしてきました。

テーマは漂着物を科学する(だったかな?)という題で身近な海辺に流れ着いた様々なものをしっかり見ましょう、という内容で、これまでにもほぼ毎年どこかから開催の依頼のある鉄板WS。

このWSの肝は何かというと、当たり前を疑うことから始める。ついでに保護者の人にもいろいろ考えてもらう。というもの。

漂着物ってなに?と聞くと最近の“いい子”はすぐに“ゴミ!”と答えてくれます。親御さん的には100点満点の答えなのかも知れないのですが土人的には不安がいっぱいの答えでもあります。

それは
本当にゴミなの?だれがゴミって判断したの?
子供がゴミと即答する裏側には何があるの?
子供のある種中立的な目線で見た時にあるゴミとは何なんなの?
というようなことを土人的には考えるからなのです。


その考えの答えかどうかは判りませんが保護者や学校の先生によく話す事柄があります。

小学生に虫や海辺の生き物を見せた時の反応などを見るとよくわかるのですが3年生以下の子供では男子女子関わらず生き物が好き、動く物に興味がある、というある種、動物の本能に近い所が支配を強めている感じがします。が、それ以降の学年になると“生き物キモチワルイ”という女子がまず増加していきます(男子は遅れること数年から、、、土人はずっと無いかも)。全員が全員“生き物キモチワルイ”というわけではないのですが小学校などではクラス単位でそういう反応の大小がはっきり見えることが多くあります。で、よくそれら先生などと話をしていると担任の先生が“虫、嫌い”“キモチワルイ”と考えているクラスの生徒にやはり“生き物キモチワルイ”の生徒も多い印象を受けます。また、親御さんがそのような場合も同様なことが少なからず見られるように思います。おそらく無意識のうちにそのような言葉やシグナルを発しているのだと思うのですがそれらのシグナルを子供が敏感に察知しているのではないかと思うのです。

一方で学年が上がっても生き物が好きだったり、それほど拒否感の少ないクラスや生徒を見てみるとやはり担任や親御さんが一諸におもしろがってくれる、楽しんでくれる、拒否しない、などの考え方を持った方が多くいるように思います。もちろん親や教師が好きであれば確実に生き物好きな子が育つ、ということへの十分条件ではないのですが少なくともそういうことに理解のある大人がいることは生き物好きな子供がいられる必要条件ではあるようです。

子供は成長する過程で様々なものを周りから学習し吸収していきます。特に初等教育の間での成長ぶりは肉体的なだけでなく思考力や精神力、価値観など、非肉体的な分野においても目を見張るものがあります。これは土人の経験則ですがこのような物の中で女子が小学校の3年位から、男子がそれ以降、、に急速に周りの価値観や習慣、規則など、社会性を身につけるために必要な社会の仕組みを理解しようとしているように見えます。その際に一番始めにすることは何か?というと新たに1から仕組みや価値観を作り出すのではなく、一番身近な“お手本”を善悪の判断を交えずにただただまねることから始めます。ではその子供にとってそのお手本とは何かといえば1に親、2に学校の先生、となるのです。
そんな中でお手本から“○○キモチワルイ”というメッセージを受け取ると

 ○○、 キモチワルイ、 それぞれに整理して次に同様のキーワードを学習しながら

○○とはどんなまとまり? キモチワルイものはどんなまとまり?というように一番最初の価値観を作り上げていきます。

その結果、
キモチワルイ:(虫、魚、カニ、生き物、、、、、、おっさん)などという価値観が形成されていくのではないかと考えています。

そんな中でゴミというものも同様のプロセスで処理されていくと思うのですがどこかで漂着物を見て

ゴミがいっぱいだ! というメッセージを大人が発すると

漂着物=ゴミ という整理がなされ、次に野菜くずや食べ残しなどの生ゴミなどをみて

ゴミがいっぱいだ! というメッセージを大人が発すると

生ゴミ=ゴミ という整理がなされ、その他にも多くのゴミとされる物を整理していきます。その結果、

ゴミ:(家庭ゴミ、不燃ゴミ、紙ゴミ、、、、、、漂着物)

と価値観なってしまうのではないかと考えるのです。

ここまでは普通に生きていく上では困りもしなければだからどうしたの?的な話なのですが、科学というものはなるべく固定概念や先入観を排除して考えることが非常に重要な分野なのではじめに○○ありきという姿勢で臨んでしまっては見える物も見えてこないし大事な発見も出来ないのです。土人は科学が好きな子が多くなってほしいし、科学的な思考はこの先も重要になってくると思っているのでこういう初等教育での何気ない経験やらが非常に重要ではないかと、特に学校の先生のはたす役割は大きいなぁとそんなことを考えているわけです。ただ四六時中土人が学校に行ってそんなことくっちゃべってたら授業妨害以外の何ものでもないので

このWSのような機会を利用してそういったせっかく築き上げてもらった先入観を少し取っ払ってもらい、当たり前を疑うことで価値観に多様性や柔軟性をもってもらいたい、てなことを漂着物≠ゴミ(ゴミを含むかも知れないけれど全部がゴミではない、の意)という図式を通して考えてもらいたいなぁと

漂着物≠ゴミ 漂着物は異世界の入り口 などとのたまうことで

ゴミというレッテルを貼るまえにもう一度しっかり自分で考えよう、自分でその価値を整理しようという事を背景にして拾い物の面白さやそこから判る事実や発見、意味などを楽しく学ぼうという内容に仕上げた(つもりの)ものなのです。

というわけで
当たり前を疑う
偉そうにくっちゃべってきました。
当たり前を疑う
参加者は結構多くて大変でしたが皆さん超集中力を発揮していたのでその辺は助かりました。
当たり前を疑う
実際に触れてみること、考えること、疑うことで新しい発見があるよぉ。ということをお話ししながらのWSでした。
これで夏休み中のWSなんかはひとまず終了。

参加者の皆さん、施設のTごん、スタッフの皆さんおつかれサンタクロース。
雑感ですが雑活動のついでに記事に起こしてみました。


御礼
気づけばアクセス数が1万に達しておりました(ってすでに300以上オーバーしておりますが)。この数が多いか少ないかよくわかりませんが多くの方々が見に来られているということと解釈しております。こんな飾りげの無いブログを温かく見守っていただきありがとうという思いとともにこんな感じで続けていけるよう頑張りますの意味も込めて一言お礼を
       
          ありがとうございます

ということでした。


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Posted by ヤポニカ at 09:07│Comments(0)
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